[雑記] 親の引越しを通して、再認識した。僕たちにもうモノは必要ない。

※ こちらの記事はnoteにて公開していたものを加筆、修正したものになります。

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尋常じゃない程、物が多い。

多分、両親にとって人生最後になるであろう引越しを
少し前に手伝ってきた。

何と言うか老夫婦二人のはずなのに4人家族(以上)くらいの荷物がある。

ハッキリ言って物が多すぎるし
物(スペース)のためにお金払ってる感あるし

それを良しとしてる感さえある。

これは由々しき事態である。

結局は全部こっちにくる。

縁起でもないがいつかは旅立つ日がくる。
出来れば、まだ来ないで欲しいし

当分は来ないだろうと思えるから
こう書けているわけだが

あの行き場の良く分からないダンボールの山を処分するのは
数年後か10数年後かの自分だ。

これは正直地獄と言うか、自分の性格上、多分業者に
全部処分をお願いすることになるだろうと思った。

そうなる前に可能な限り生前に減らしておいてもらわないと
とんでもないことになる。

全てをデータ化すれば済む気がするがそうじゃないらしい。

昔の写真やら、祖父母の写真、また祖父母が書いたであろう
書物など、データ化して処分すれば幾らか物は減るだろうと

提言したが、「うーん。でも〜」と小学生以下の返事ばっか返ってきた。

デジタル世代とアナログ世代の価値観の違いなのだろうか
どうやらデータではなく、手に触れれる「モノ」で持っていたいようだ。

14年開けてないダンボールはもはやゴミではないのか。

これは結論から言うとゴミではないらしい。
人生の七不思議以上の不思議だ。

実家は14年前と今年とで大きな引越しを2回程、経験している。

その14年前の引越しから今回の引越しまで
開けた形跡のない、ダンボールの山を全て持ってきているのだから

これには本当に空いた口が塞がらなかった。

「14年開けてないんだから、これゴミでしょ?」
と聞いても

「いや〜、これはこれから片づけるつもりなんだ」
とまたまた小学生以下の返事が返ってきた。

きっとあと14年はそのままだろうと思っている。

多分捨てるのは無理

これは世代と言うべきか血とでも言うべきか
多分物を捨てるのは無理だと思っている。

何故かと言うと、祖父も父も何かと「捨てるは勿体ない」というタイプだからである。

祖父は戦争を体験し物が無い時代を経験してるので
そこをとやかく言うつもりはない。

そして父もその血を引いているので
多分、今後物を捨てると言うのは無理であろう。

自分もその直系親族にあたるので
基本的に流れてる血は一緒だが

一つ違う点と言えば物余りの時代に生きていると言う点が
挙げれるのだと思う。

自分も妻も物は少ない派。

ミニマリストとまではいかないが
自分も妻も基本的に物は少ない。

これは妻と結婚して本当に良かったと思ってる点だが
もし妻がマキシマリストだったらきっと発狂してると思う。

妻は洋服が好きなので、その部分に関しては多少多いが
自分も撮影機材に関してはマキシマリスト傾向があるので

必要なものは多く、不必要なものはお互い少なくで
今後もやっていければ良いと思っている。

引越しを通して。

この本を両親にプレゼントしようと思ったが
一瞬でその考えは消えた。

単純に物が増えるだけだからだ。

ただこの本が自分にとってプチミニマリストになる
キッカケをくれたのは間違いないし

今もPDF化したものをたまに読み返したりもしている。

今後、自分達の引越しも控えているので
今一度、身の回りの物を見返してみようと思う。

ここまでお読み頂きありがとう御座いました。
またお会いしましょう。


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